カテゴリー別アーカイブ: 日記・エッセイ・コラム

継続は難しい

 座禅をしたことがあります。その時の心得としてお坊さんが言っていました「心の中でひとつ、ふたつ、みっつ・・・と数をかぞえなさい。するといつの間にか分からなくなる。そしたら、またかぞえ直してください」と。実際にやってみると、確かにいつの間にか数が分からなくなっていたのを思い出します。

このコーナーも同じなんですね。いつの間にか書くのを忘れてる。だからまた書き始めます。でも、これはサボっていたんじゃないんです。本業である図面と現場を優先していたんです(笑)。

 実は多くの方々から日記の更新がないことを指摘されていました。皆さん楽しみにしていただいているのでとても嬉しいです。

しかし、毎日書いていないのに表題が「日記」というのはいかにもマズイですよね。

「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ・・・、ZZZZ・・・」

怪しい人

 現在進行中の現場の近くには小さな公園があります。そこには公衆トイレがあり、町の皆さんが清掃されているようですごくきれいなのです。現場の仮設トイレは耐え難い臭いがするので、時々公園のトイレを借用させていただいています。

 本日、公園では幼稚園くらいの子供達が遊んでいて、少し離れた所でそのお母さんと思われる方々が談笑されていました。公園らしい光景です。子供達は走り回っています。僕はいつもの様に用を足そうと、公園の中のトイレの方へ。すると突然、                                     「○○ちゃんっ、こっちへいらっしゃい!」                              と慌てた様子の叫び声。                                       声の主は書くまでもありません。当然の事ながらその後は何事も起こりませんでした。公園に男が一人、自転車で来て子供に向かって歩いているように見えたのか。僕の人相の為なのか。              んー、確かにどちらも怪しいが。そんな露骨に警戒しなくても・・・。これが世相なのか。

自転車

 現場へ通うのに、場所に応じて折り畳み自転車を活用しています。今日はその自転車で金華山に登ってみました。登りはきついですが、下りは気持ちいいです。少し早かったですが新緑と木漏れ日が気持ちよかったです。有酸素運動は脳にもいいそうです。体脂肪も燃えて、心も体もすっきりです。

新しいモノと古いモノ

 古い物にはいいモノがたくさんあります。漆器や和紙・・・、古民家や町屋もそうです。昔から使われてきてものはかなりの物がそれに当てはまると思うんです。(最近は経済原理ばかりが優先されて、作るのに手間がかかるとか手入れが大変とかいう理由で風前の灯火になっている物もあります。それを見直すスローライフという動きもありますが。)それらは、時代によって選択や改良されてきた物が多いのではないでしょうか。

 今日、いろんな物や材料が数多く開発・製造されています。それらの物の多くがいいモノであるかというと残念ながらそうではないと思います。もちろん中にはいいモノが有ることも事実です。これら多くの新しい物の中からいいモノを見極めるのは本当に「見る目」が要ると思うんです。古い物は歴史を生き残って歴史によって創意工夫されてきているので安心して使えます。新しい物には注意が必要です。でも古いモノばかり見ていて新しいモノを作り出せないのは寂しいことです。自分が歴史の線上にいることを意識して、次につながる仕事をしていきたいです。

日本らしさ

 日本らしさとは何かということを考えることがあります。日本人は手先が器用だとよく言われます。日本らしさ(日本人の特徴)の一つに、「あるモノを輸入してそれに工夫を凝らして違うモノに仕上げる技術を持っていること」というのがあるのではないでしょうか。

建築の歴史を見てもそれはあてはまると思うんです。例えば京都にあるお寺。寺院建築の原型はすべて中国からの輸入です(極めて大雑把な言い方で専門の先生には怒られるかもしれませんが)。それを日本人の大工の棟梁が細かい所まで工夫を凝らしてあれだけの綺麗な建物に仕上げているのです。そのための道具もいろいろ開発しています。それらのお寺は中国のお寺とはかなり違ったモノになってます。元々の様式は同じかもしれないけれどその完成度の高さにはもの凄い差があるんです。結果として日本独自の様式になっているんです。基本的な原理を考えるのはあまり得意ではないのだけれど、それらにもの凄い工夫を加えて違う物を創り上げるのが日本人なのではないかと思うんです。自動車の世界でもそうだと思いませんか?基本的な原理はヨーロッパ発明されたモノだけれど、日本車にはいろんな工夫が施されています。そういう意味ではトヨタのプリウスなんて極めて日本らしい車だと思います。

繊細さ

 日本人の特徴に繊細さがあると思います。よく言われるのは日本食の繊細な味付け。少しだけ料亭で食事をいただいたことがあるのです。盛りつけはもちろん凄く綺麗です。味や香りは実に繊細で淡いのですが、その旨さには圧倒されてしまいます。その味にはしっかりとした存在感があるんです。建築も同じだと思うんです。細かいところを一つ一つを繊細に仕上げていくことが、決して出しゃばり過ぎないですがしっかりとした存在感のある空間を創るための重要な要素だと思うんです。

バイリンガル!?

 大辞林によると「バイリンガル」とは「状況に応じて二つの言語を自由に使う能力をもつこと。また、その人。」とのことです。

 僕は愛知県と岐阜県の仕事が多くてそれぞれの方言で話しています。ネイティブの三河弁と現場の多い岐阜弁には自信(?)があります。そういう意味では立派なバイリンガルです。

現場では土地にあった言葉で話すことによって現場の雰囲気が和むような気がするのです。

岐阜の現場にいるときは「~やて」とか「~やりゃぁ」とか言っています。岡崎・豊田の現場に行けば「~だらぁ」とか「~やりん」とかいう言葉になります。頭の中で意識して使い分けているわけではないのですが現場の職人さんや監督さんの話す言葉に自然に合わせているのです。これってちょっとしたバイリンガルだと思いません?

方言って意識しなくても話す相手によってすっごく強く出ますよね。僕が祖父と電話で話しているのを隣で聞いてた大学時代の友人に「すっごい三河弁だなぁっ」て言われたのを思い出します。

でも、時々ゴッチャになって変な言葉になることもあります。1日で岐阜の現場と愛知県の現場をはしごすると前居た現場の言葉が残ってしまいます。これってホントのバイリンガルの方はどうなんでしょうか?日本語と英語の区別がつかなくなることってあるんでしょうか?

「志あるところに道がある」

 近頃、「あいちゃん」がいっぱい活躍しています。テニスの愛ちゃん、卓球の愛ちゃん、ゴルフの藍ちゃん、チンパンジーのアイちゃん、銀座のあいちゃん(?)・・・、その他にも「あいちゃん」がいっぱいいます。その中でもゴルフの藍ちゃんが言っていた言葉で、心に響いて余韻としてずっと残っているものがあります。「志あるところに道がある」(私の記憶なので勝手に変更されているかもしれません)。本当にその通りだと思います。「なせば成る、なさねば成らぬ」というのも近いです。私も悩んでいたときどんなに勇気づけられたことか。

 ノーベル賞の小柴先生の発見だって偶然だって言われるけど、先生の「志」が無ければ何もわからなかったんです。「志」があったから世紀の大発見ができたんです。

 どんな世界でも道を究めている人の言葉は重いです。年が若いかどうかなんて関係ないです。その人がどれだけの密度で経験を積んできたかだと思います。

今年の僕は違います。日々充実した密度のある仕事を心掛けます。

あけましておめでとうございます

昨年末までの予定だった工事が遅れて年が明けてしまいました。だから今年は正月気分は無く、4日から現場が動いています。大工さんは年末の30日まで動いていましたからホントに頭が下がります。

今日も、現場へ行ってきました。現場にはたくさんの職人さんがいて、とても活気があります。工事遅れているのですが皆さんこだわりを持って、がんばってもらっています。本当に雰囲気がいい現場です。

大晦日

あー、もう2004年が終わってしまいます。最近は本当に図面に追われホームページの更新がなかなか出来ませんでした。時間の大切さを思い知らされています。

 今年は、いろんな人との新しい出逢いがありました。いろんな新しい仕事をさせてもらっています。皆さんホントに素晴らしい施主さんばかりで感謝いたします。事務所にも新しいパートナーが増えました。来年も今年以上にがんばります。

それでは、みなさん良いお年を!!