ウサギ

 5月12日に書いた「ラパン」について多くの方からメールをいただきました。

 ウサギを食べたから「1羽、2羽・・・」と数えたのではないとのこと。昔、仏教では基本的に肉を食べることが禁じられていました。でも食べたい。そこで、この数え方で鳥だということにして、後ろめたさを少なくしてウサギを食べていたのだそうです。

 いやぁ、勉強不足でした。お恥ずかしい限りです。クリームシチュウの上田さんどころか、結構常識に近いお話だったようです。

でも、これで一つ知識が増えました。メールをいただいたみなさまどうもありがとうございました。この場をお借りしてお礼を申し上げます。合掌。

京都某所

先日、ふらっと京都へいってきました。
岐阜から普通電車で2時間ちょっと。意外に近いんです。
折り畳み自転車を持ってふらっと。
目的は修学院の近くにある某所へ。
1500年代にのに建てられた住居です。
建物は繊細で、敷地の高低差を利用した自然の山の景色と、まあるく刈り込んだ人工的なサツキの庭の対比がすごく綺麗でした。
静かな中に心地よく響くシシオドシの音。
心が癒されました。
また、訪れてみたいです。

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杉の家

「小原の家」を「作品」に追加しました。

 杉と薪ストーブの大好きな方のための山小屋のような家です。内装の仕上や家具にたっぷりと杉を使いました。 家族が集まる居間の中心にどっしりとした杉のテーブルを造りつけています。

杉の柔らかさと薪ストーブの炎で落ち着きのある空間となっています。とにかく気持ちいいんです!!

新庄

 シーズン初めの引退宣言や襟付きのアンダーシャツで色々な話題を提供してくれる新庄選手。私はチャラチャラしたモノが嫌いです。カラフルなスパイクや特殊なマスク、新庄選手のチャラチャラ度はかなりすごいと思います。

 でも、プレーはチャラチャラしていないのが彼のすごいところです。私が新庄の本当のこだわりを強く感じるのは試合用のグローブなのです。TVでちらりと映る程度なので定かではないのですが、かなり使い込まれていそうなグローブです。昔の守備の名人は使い込んで手になじんだグローブをずっと使い続けたそうです。新庄選手の本当のこだわりが垣間見える様な気がします。

ラパン

 ラパンといっても自動車のラパンではありません。ウサギの方です。自動車もウサギという意味のフランス語「ラパン」から来ていると思います。

 ウサギは「1匹、2匹、・・・」ではなく「1羽、2羽、・・・」と数えますよね。何でなのか不思議に思ったことありません?子供ながらに耳が羽の様に長いから鳥の羽に見立てて、そう数えるのだという勝手な想像をしていました。 

 フランスを旅した時にその謎がとけたんです。私、ウサギを食べてしまったんです。フランスでは普通に食べられるということは理解していても、いざ目の前にウサギの料理があるとどうしてもあのかわいい姿が目に浮かびます。手をのばすまでしばらく時間がかかりました。覚悟を決めて食べてみるとビックリです。ニワトリの肉にそっくりなのです。ささみ肉のような感じでした。日本人は昔、きっとウサギを食べていたんです。だからニワトリと同じ数え方になったんです、きっと。

(これはあくまでも私の想像です。どなたか知識のある方教えてください。クリームシチューの上田さんは知ってるのかなぁ)

野球の間(ま)

 プロ野球もいよいよ交流戦が始まりました。

 私は子供の頃からずっと野球をやっています。最近は時間がとれなくてなかなか出来ないのですが。野球をやっていたことが今の自分の設計に少なからず影響を及ぼしている様な気がしてならないのです。どの様に影響を与えているのかと聞かれればハッキリとは答えられないのですが。

 最近少し思っていることがあります。古田選手(監督)もいっていましたが、野球には「間(ま)」があるのです。ひとつひとつのプレーが連続ではなく「間(ま)」があるのです。その「間(ま)」がつまらないと言う意見もあるようですが、野球をやっていた人ならばそんな事は思わないはずです。その間にいろんな事を考えるのです。例えば、キャッチャーは次に何を投げるのかを考えます。バッターはその配球を懸命に読みます。また、ピッチャーは投げるまでの時間を長くしたり短くしたりしてバッターのタイミングをずらすこともあります。この「間(ま)」をうまく使えるかが非常に重要なのです。

 空間にも「間」と言う字が入ります。時間の「間(ま)」と空間の「間(ま)」。違う概念のようですが同じような要素があるんです。間が無いときゅうくつですし、多すぎれば間ノビします。「間(ま)」の取り方が重要なんです。

これらの「間」を考える時に野球で養った感覚で考えている、なんとなくそんな気がするんです。

収納

 先日竣工した「中町の家」の施主さんがおっしゃっていました。

 その方が、とあるインテリアのお店に行かれたときのこと。対応したの店員さんが「建築士の設計した家は格好ばかりで収納がない」と言っていたそうな。

 (収納には気を遣っているつもりの私としては、「建築士(設計事務所)の設計した家」の印象として、ひとくくりに悪い印象を持たれてしまうのは何とも悲しいことです。)

 店員さんの意見はさておき、私にとっての最大の関心事はその施主さんがそれに賛同したかどうかでありました。それを私の方から聞く勇気もなくドキドキしていると、最後に「うちはそれには当てはまらないけどね」のひとこと。ホッとした瞬間でした。

メキシコの空

 「メキシコの空は綺麗な青色なのだろう、空気が乾いているので。だからバラガンが設計した建物のピンクや青色の壁が自然に受けいれられるんだろう。」そう思っていました。でもメキシコの空はそんなに綺麗ではありませんでした。すみわたってもいませんでした。サンクリストバルのある場所は比較的空気が綺麗だったのですが・・・。

 地球温暖化の原因はここにあるのではないかと思ってしまうくらいに空気が汚れていました。スモッグがすごいんです。デリケートな(?)私はすぐに喉が痛くなってしまいました。青い空どころか、排気ガスで空気が汚れきっています。昔、私が飼っていた金魚を思い出してしまいました。水をなかなか変えないので少し濁っていて、パクパクと口を開ける金魚はいかにも息苦しそうでした(ごめんないさい、金魚さん)。メキシコシティーにいると私があの金魚になったかのように思ってしまいました。あれはなんとかしないといけません。

旅行(メキシコ編)

 しばらくの間お休みをいただいて、メキシコ・アメリカの建築を見に行ってきました。皆さんには本当にご迷惑をおかけしました。

 今回の最大の目的は、メキシコの建築家ルイス・バラガンとアメリカの建築家ルイス・カーンの建物を見ることでした。どちらも学生時代からずっと見てみたいと思っていたあこがれの建物達です。

 全部で11件の建物を見てきましたが、どの建物もため息ばかりで感動的でした。私がそれらの建物の批評を書くつもりはないのですが少しだけ大まかな感想を書かせていただきます。

ルイス・バラガンの建物は天井高などのボリュームの操作に加え、壁に付けた色の効果や自然光にも色を付けて究極的な感動を与える効果を計算しつくしていて、とにかく圧倒され続けました。

 ルイス・カーンのソーク生物学研究所、キンベル美術館にはそれぞれ一日滞在しました。どちらもピーンと張り詰めた緊張感があります。でも、その中にも人間にとって気持ちのいいスケール(大きさ)や仕掛けがあって実はすごく心地のいい空間でもあることが身をもって分かりました。だから、その建物の中に居る人たちが生き生きと見えるのです。

 前回のヨーロッパ旅行の報告を掲載するといいつつも、掲載しないまま今回の旅行に出掛けてしまいました。この旅行は今後の私にとって大きな財産になったことは言うまでもありません。この旅行での感動も是非皆様に報告したいと思っているのですが・・・。

 今回見学した主な建物は

ルイス・バラガン:バラガン邸(自邸)、ギラルディ邸、プリエト邸、カプチン派修道院、サンクリストバル

ルイス・カーン:ソーク生物学研究所、キンベル美術館

チャールズ・ムーア:シーランチ

チャールズ・イームズ:イームズ邸(自邸)

フランク・ロイド・ライト:ホリホックハウス

「おかげさん」

 わが家には、相田みつをさんの「こころの暦 にんげんだもの」という日めくり形式の作品集があります。1日から31日までひとつずつ言葉が書いてあって、1ヶ月間毎日違う言葉があるというものです。示唆に富む有り難い言葉ばかりで私のお気に入りなのですが、1ヶ月間毎日続けるのが難しいのです。いつも10日くらいは忘れずにめくれるのですが、いつの間にか忘れてしまうんです。月が替わると、さすがに気づいてまた1から始めます。だから月末の言葉は、あまり拝んだことがないんです。今日大掃除をしたので、31日にしてみました。31日は「おかげさん」です。ハッとして、今これを書いています。

 今年一年いろんな事がありました。新しい方との出合いもありました。胃の痛くなるような事もありましたが、いろんな方に支えていただいたおかげでとても充実した日々が過ごせました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。まさに、今年一年を締めくくるのにふさわしい言葉です、「おかげさん」。